今日は休暇を取得。
午前中は、八幡市でボランティア活動に参加。
天気が久しぶりに良くなり朝から日が差していたので、自転車で行動しました。
2009年7月30日(木)
久御山町の田園地帯。
長梅雨がまだ終わっておらず連日の悪天候。
久々に見る青空です。
木津川右岸堤防下にある水防倉庫。
自転車に乗るのは久しぶりだし、木津川に来たのも本当に久々。
やっぱりこういう雰囲気はいいですねえ・・・・
私が大好きな風景。
元・KBS京都(京都放送)のラジオ送信所。
今は飛行機への管制電波を送っていると聞いたことがあるものの、それが事実かどうかは未確認。
八幡市へ。
田園風景の向こうに男山の姿が。
旧道の雰囲気が今も残る八幡の風景。
八幡の雄大な田園風景。
今年は8月に日照不足が予想され、青森など北の方ではコメの作柄が極端に悪くなる可能性があるとか。
京都府南部では今のところそんな雰囲気がないので、ありがたく心強い限り。
雄大な田園風景のかなたには愛宕山の雄姿が。
男山団地中央センター。
開発から30年を経た団地は、建物の老朽化や、住民の減少・高齢化などが様々な問題をかかえています。
でも、ここで生まれ育った人にとってはここは故郷。
団地が抱える様々な問題がうまく解決することを念じます。
汗だくになり、午前11時過ぎにはボランティア活動を終えました。
帰路につきます。
右側に泥松稲荷が見えるこの道は「東高野街道」
東高野街道をしばし走ります。
泥松稲荷。
以下のようないわれがある稲荷です。
昔、この近くにいたずら好きの「泥松」という名前の狸が住んでいた。
ある時いたずらが過ぎ、怒った村人達につかまってしまった泥松は散々お仕置きをされた上で道脇に放り出され、道端で弱ってうずくまっていた。
そこに、狸によく似ていると人々から言われている近くのもみじ寺(善法律寺?)の庵主様が通りかかり、狸を寺に連れて帰り手厚く看病した。
少しすると狸はすっかり元気になり、もう悪さはせず庵主のお経をまねて唱えるようになった。
やがて狸の泥松が天寿を全うしたので、庵主は御霊を祀り心をこめて毎日読経した。
するとある時、庵主に泥松の霊力が乗り移り、占いがとてもよく当たるようになった。
そのことは京や大阪などに広く知れ渡ることとなり多くの参拝の人が訪れ、やがてこの「泥松大明神」の社と鳥居が奉納された。
今はもうかつての賑わいはなくくひっそりとしているこの泥松稲荷ですが、今でも一心不乱にお祈りすると「願いがかなう」とされています。
安居(あんご)橋へ到着。
この辺りが東高野街道の起点。
日本でただ一つとされる航空安全の神社である「飛行神社」へ。
境内の零式艦上戦闘機の機首部分。
54年前に敗戦を迎えたあの戦争のことを想います。
あの戦争で、みんなが不幸になってしまいました。
ズーム。
開発当時は世界最高速級で操縦性が極めてよかったこの飛行機は、日本人の技能の高さを如実に示していました。
説明。
これは大阪湾で引き上げられました。
本殿にお参り。
こちらは何の説明もついていないのでよく分かりませんが、やはり本物の飛行機のプロペラのようです。
流れ橋へ。
雲がまた空一面に広がり始めてきました。
久御山町の梨畑の実。
かなり大きく育ってきました。
秋には人々の口に入り、秋を感じさせてくれることでしょうね。
蒸し暑い日が続きます。
もう7月も終わりだというのにまだ梅雨明けしません。
梅雨の曇天の合間の久々の日差しがとっても貴重でした。
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