今日は、五山の送り火の翌日。
送り火の翌日に送り火の消し炭を拾うと無病息災の功徳があるとされます。
膝を痛めていて全山を登ることは不可能なので、今日は「左大文字」だけに登ることに。
「大」「船形」「妙」「法」「鳥居」は他の日でも炭をいただきに登ることはできますが、「左大文字」に登れるのは年に一度だけ。
左大文字に登れるのは、消し炭をいただきに登る人のために、送り火の翌日だけ。それも、午前11時まで。
左大文字山の火床に行くには児童施設の敷地内を通るため、普段は一般人は立ち入りができません。
消し炭をいただいたあと、京大西部講堂に寄りました。

2009年8月17日(月)




宇治市槙島町を通過。
私は子どもの頃に遊んでいて見た記憶がある建物が今でもこうして残っているのが嬉しい限り。



隠元橋で宇治川を渡りながら古い隠元橋を見ます。
解体工事の途中です。



京阪電車宇治線沿いに走ります。
ここで「しまった!遠回りしてしまった。」って気づきましたが、後の祭り。



桃山温泉・月見館の建物。
なかなか味がある建物。



国道24線下をくぐり、近鉄電車澱川鉄橋を望む。



伏見を西進。
十石舟が停泊中。



長建寺。



とっても伏見らしさが漂う風景。
光線の具合が悪く、写真の写りがよくないのが残念。



竜馬通り。
この竜馬通りの手前を左折。



明治維新のメインステージである寺田屋。
「明治維新は寺田屋の一室から始まった。」とさえ言われています。



ひたすら北上し、世界遺産である東寺の横を通過。



左大文字の火床が見えたので「ショートカットしよう」と思い近道になると思われる方向へ。
ところが道を間違ってしまい、立命館大学衣笠キャンパス方面へ。
やっとこさの思いで火床への登り口に至る入口へ。



モスラ号がポーズ。
でもそんなことしていられないって。
時刻はそろそろ11時。
早く行かないと火床に上がれない。(@_@)



激坂をこいで上がります。
上がる途中で、食堂のようないい匂いがする建物から段ボールを持って出てきた、とっても可愛い指導員さんとおぼしき女性から「こんにちは!」と声をかけられました。



火床の入り口に到着。



いざ火床へ!



登る途中で片づけをしている大勢の人がいました。
「もう下山して閉めてしまいますよ。」と言われました。
「炭を欲しいので」とお願いすると、「大急ぎで行ってきてください。」との返答が。
超速歩で火床をめぐります。



これが、昨夜きれいに「大」の字を浮かび上がらせていた火床。
自転車でここまで走ってきた汗と、激坂を上った際の汗、それに超速歩で歩く火床めぐりで噴き出す汗。
歩くたびに顔から汗が滴り落ちます。



「大」の字の一番上の部分の火床。



「大」の字の線が交差する部分の火床。
他とは形が違っています。



火床には松明らしきものが差し込まれたままで残っていました。



火床から下山。
次は京大西部講堂を目指すことに。
こんな面白そうな店がありました。



レトロチックなレンガ造りの建物。
中京郵便局です。



道を間違い南下しすぎました。
北上しながら、ここで鴨川を渡ります。



岡崎公園近くにある関西電力の琵琶湖疏水・夷川発電所。
京都市街地中心部の至近とはとても思えない雰囲気。
これも京都の一つの顔です。



みたび道を間違え黒谷を汗だくで越える羽目に。
京大から離れてしまったので、進路を修正。
懐かしい市電が置いてありました。
私は大学に行く時、京都駅からこの市電に乗って河原町通りを北上していました。
入学した当初、京都駅から大学までの運賃は15円。
田舎者だった私は、初めて市電に乗った時に車掌さんから購入した回数券を下りる時に1枚だけ(5円分)渡そうとして車掌さんから「3枚要りますよ」と言われ赤面した記憶があります。



京大西部講堂に到着。
モスラ号をとめます。



60年代中ごろから学生が自主運営し始めたここ西部講堂は、今でも大学側は一切管理していません。
今でも学生の手によって自主管理・自主運営されています。
西部講堂の横が工事中で囲いがしてあり、周ることができる場所は少しだけ。
というかこの場所ぐらい。



西部講堂入口。
中に一度も入ったことがないので入ろうと思ったんですが、中から話声が聞こえてきたので遠慮して入りませんでした。



西部講堂の屋根の上の黄色い星のマーク。
描かれた当初は赤い星だったとか。
この星は、テルアビブ空港乱射事件を起こし死亡した日本赤軍3人にちなんで描かれたもののようです。
帰宅して、関西ブントと赤軍派との関係を調べてみました。
今日、西部講堂を訪れて、この西部講堂が70年前後の雰囲気を今も色濃く残しているということを体感しました。
西部講堂周辺の工事が終われば私は再度西部講堂を訪れたいと思います。
他の京大の建物ががドンドン新しくなり70年代前後の雰囲気はほぼ完全に消滅した中で、ここ西部講堂の存在は私にとっては極めて貴重。
70年代前後の雰囲気が今もなお色濃く漂う西部講堂を眺めながら、しばしのタイムスリップに身を浸したそうかと。



極めて暑い一日だった。
今日のランでは、持参した2リットルの水ではとっても足りず飲料水を自動販売機で5缶も買って飲んだ。
缶飲料の合計量は1リットルほど。
総計すると、今日のランではおよそ3リットルの水分を摂ったことに。
でも。
真夏に自転車で琵琶湖日帰り一周をしても飲料は2リットルのペットボトルの水を2本ほど。
量にしておよそ4リットルに、それに水を冷やすための氷の量を加えても5リットルほど。
今日のランで、かいた汗が尋常ではなかった。
真夏の暑い暑い(今日の京都の最高気温は36℃)快晴の日のラン。

しんどかったけど、やっぱり自転車ランは楽しいなあ・・・・・・。
ウオークで膝を痛めた今、私は かつてと同じように今後再び自転車に乗って週末を過ごすことになる。
ウオークより自転車の方が圧倒的に膝に優しいから。

かつて私には共に走った自転車仲間が多くいたが、その人物のうちの一人の行動に極めて大きな疑問を感じることがあった。
その時、私はその人物だけでなく、自転車そのものがとっても嫌になってしまった。
ゆえに、その時以来 私は自転車にほとんど乗らなくなった。
そしてあっという間に3年の月日が流れた。

かつての私は多くの人と共に自転車で走ることがとっても楽しかった。
でももう今後は同じことをする気にならないので、今後は多くの人と共に走る「ツアー」は主催しないし参加するつもりもない。
自分自身が満足するため、孤走を楽しむ。
時には、気心知れた少数の仲間と、あるいは新しい仲間ができたらその仲間走ることもあるかもしれないが。
よくよく考えてみると、孤走あるいは少人数走というのは、「自転車って楽しいなあ」と心から感じてこのサイトを立ち上げた時の私の出発点であり原点。



ホームに戻る